2011/09/14

10周年によせて


2001年9月15日は僕が初めてインドネシアを訪れた日だ。大学生で20歳の僕はとにかく安いという理由で選んだチャイナエアラインで、深いスリットの入ったスカートを身に付けたセクシーなフライトアテンダントさんを眺めながら、初めてジャカルタに降り立ち、違法タクシーに騙されて20万ルピアを払ってジャクサ通りまで運んでもらい、当時一泊2万ルピアの安宿にチェックインした。その当日は確か歩いてモナスまで行って、モナスの展望台からジャカルタを眺めたと思う。展望台へのエレベーターの中でお母さんに抱かれた赤ちゃんが泣き出して、日本だったら皆嫌な顔をしそうなものなのに、見知らぬ人が赤ちゃんをあやしたりし始めた姿が、とても印象的だった。

その21日間のFIXチケットをフルに使ったこの旅では、電車でジャカルタからバンドンへ行き、まだ改装前のボロかったアジア・アフリカ博物館を見たり、ガイドと一緒にタンクバン・プラフに行った。それからジョクジャでボロブドゥール、プランバナン、王宮を見て、ソロでも王宮や郊外の石造りの寺院をバスを乗り継いでみて回った。王宮でバイトしていた観光学科の女子高生と仲良くなって、博物館や動物園を案内してもらったりもした。それからスラバヤに行き、ブロモ山から日の出を見て、ジャカルタまで引き返し日本へ帰った。

屋台でペチェル・レレを食べた時、手を洗うおわんの水を飲みそうになり、となりのおじさんに笑われた。マンゴーとマンゴスチンが美味しくてドリアンはまずかった。ほとんど毎日、下痢をしていた。特にバンドンでタンクバン・プラフから市内への帰りのバスでの腹痛と便意はこれまでの人生の苦難の中でベスト5に入るぐらい辛かった。節約のため無茶な距離を歩いたりもした。頭の中でドラクエ3のフィールドの音楽を流しながら、汗をかいて歩いた。大学の第二言語でかじったインドネシア語が実際に使われてる場面を耳にし、あの単語はこう使うのかと感動した。かじっただけのインドネシア語も割と役に立った。

あれからの10年間のうち、だいたい7年をジャカルタで過ごした。良かったことも良くなかったことも色々あるけれども、トータルで見てこの10年間、自分はおおむね自分に適した正しい方向に向かい、それとともに仕事や友人関係を通じて、どちらかといえばプラス(相撲で言うと8勝7敗ぐらいだけど)の影響を世の中、特に日本とインドネシアに及ぼせたんじゃないかと本当に僭越ながら思う。

次の10年後、40歳の自分(考えたくない!)がどこで何をしているか予測しがたいけれど、振り返って悪くない10年だったとまた言えるよう日々を過ごしていきたい。

2011/01/28

日本は安全か?

1年近く放ったらかしのブログですが、4月ぐらいからまたインドネシアと縁深くなることもあり、
頑張って更新していきたいと思います。

日本に帰国して驚いたのは(特に若年層の)労働環境の劣悪さです。
長時間、低賃金の労働が常態化していて
私の身の回りにもうつ病など精神を病んで休職、
または休職の後に解雇されるケースが少なからずありました。
マスコミの報道で日本のこうした現状は聞いてはいたのですが、
実際に友人にそういうことが起きると驚きと、得も言われぬ不安な気持ちになります。

ご存知の通り、日本では毎年3万人以上が自殺しています。
2009年の人口10万人あたりの自殺者数は24.4人で世界6位でした。
(ちなみにインドネシアは統計なし)
雇用、経済環境の悪化など「経済・生活問題」を原因としたものが多いそうです。

インドネシアのコトを聞かれる時に必ず、「衛生面やテロとか危険でしょう?」と尋ねられます。
確かにテロについては日本では想定しがたいリスクではあります。
でも、どの国、どの文化、社会でも固有のリスクはあるわけで、イラクやアフガニスタンみたいに
毎月のように爆弾テロが起きてるのではたまったもんじゃないですが、
インドネシアのようにせいぜい3年に1度、10人程度が死傷する程度の頻度では、
巻き込まれる可能性は極めて低く、あんまり意識する必要のない水準のリスクだと思います。

はっきり言ってインドネシアでテロに巻き込まれて死ぬ可能性より
日本で自殺に追い込まれる可能性の方がはるかに高いような気がします。

テロと自殺は直接的に比較できるものでないことは分かってはいますが、
見方を変えれば日本は特別、安全な国でも、他の国よりことさら優れたことばかりでもないという
当たり前のことに改めて気付かされるということの一例にはなると思います。

私個人はこれだけヒドイ労働環境、それに関連したうつ病、自殺なんていう問題に対して
政治も国民も大して関心を示していない(ように見える)日本の方が怖いです。
Zガンダムで主人公カミーユが言ってた
「人の心を大事にしない世界を創って何になるんだ!」
というセリフを思い出すことが多いこの頃です。