2010/03/26

ご報告

約2カ月のプー太郎生活を経て、4月5日より化学業界の業界紙の記者として働くことになりました。
会社は都内なので実家から通います。地元周辺の皆様は、これからも遊んでやって下さい。

2010/03/19

クルマ離れ

通販で買った、ミニベロ(タイヤ径の小さな)自転車。最近、暖かくなってきたこともあり、乗る機会が増えてきました。

平日は父の車が空いているので、自動車も使えるのですが、「たまには運転しないと忘れちゃうよ」という親の言葉も無視して、自転車&徒歩で移動する日が続いています。





もともと、車に思い入れはなくて、単なる移動手段の一つとしか思ってませんでしたが、ジャカルタ生活を経たことで、車がかなり嫌いになりました。

というのは、ジャカルタは公共交通機関が未発達なせいで、ちょっとでもお金がある人は車、バイクで移動します。で、その結果、慢性的に大渋滞で大気汚染最悪な状態。道行く人はスカーフを口にあて、排気ガスから身を守っていたりします。

そこで思ったのは、「車はみんなが持つものではない」ということ。ハイブリッドだ電気自動車だなんて言ったって、あんな鉄の塊を一家に一台持ってて良いワケがありません。そりゃあ、星の一つくらい食いつぶしてしまいます。日本の、それも首都圏に住んでいるなら、自動車なんていらないはず。新興国のモータリゼーションが進む一方、先進国では車を手放すべき時代に来ていると思います。

そんなわけで、「車は20世紀の遺物」「21世紀に車は要らない」を公言し、春の日差しの中、徒歩&自転車&電車の生活が続いているのです。








2010/03/01

地震回想

チリの地震・津波の報道をみると、どうしてもインドネシアで記者をしていた時代に何度も遭遇した震災を思い出します。

今日の報道ステーションの冒頭で津波の結果、内陸まで突っ込んだ船の写真が出ていましたが、アチェでも全く同じことが起きました。今ではその船は固定され、観光スポットになっています。


△アチェで地上に突っ込んだ発電船(2009年)


△小型の漁船も(2009年)

チリでは略奪行為も起きているようですが、インドネシアでは基本的にそうしたことはありませんでした。壊滅したアチェは別にしても、ジョクジャカルタやパダンでは被災者の多くが農民で、コメや卵(鶏を飼っている人が多い。鳥インフルエンザの温床でもあるけど)といった食料を確保できていたからかも知れません。

昨年のパダンの震災の時は、発生直後に現地入りし、取材の一環で日本の緊急援助隊に同行しました。私が取材する一方、援助隊員から現地の事情、習慣、家屋の構造などについて聞かれたのですが、その中で「被災者の表情が意外に明るいですね」と驚いている人がいました。家族を失ったような人はともかく、家屋全壊程度の被害では結構、明るい人が多かったのは事実でした。



△笑顔で食事する被災者(パダン地震発生2日目)



△炊き出し中。熱心に食事をすすめられ、少しご相伴した(同)


一部の日本の人が想像する南国の人のイメージ通りに、インドネシア人は確かに、いい加減ですぐにあきらめちゃったりするところがあり、そういう部分では確かに弱いのですが、その反面、しぶといところもあります。モノやお金へのあきらめは良い意味でいいと思います。
日本人は固い棒で、普段は強いですが、極端な負荷がかかるとポキッと折れてしまう。インドネシア人は竹のようなもので、普段はふにゃふにゃですが、大きな負荷があっても受け流すのがうまい。そのように感じました。

いずれにせよ、チリの被災者が一人でも多く無事でありますように。